にわかミリオタがゆく戦艦三笠、東郷閣下になりきって丁字戦法してみた

菱 垣 廻船 樽 廻船

―菱垣廻船と樽廻船― 第1節 紀 州 廻 船 小廻船と大廻船 山が海に迫る紀州,そ こには海運が発達した。 古代天 智朝,朝 鮮へ兵を運んだ主力の1つ は紀州船団であった といわれている。 近世にも紀北,中 紀にかけての沿岸諸 港には荷船が多数あった。 船には50石 積の小船から, 1,500石 を超える大船まであったが,小 船は紀州沿岸, 大坂,淡 路,徳 島あたりを往復したもので小廻船といわ れ,大 船は長路の航海に耐え江戸や日本海方面まで運漕 に従事したもので大廻船といわれた。 日本の経済を支えた二つの海路 江戸時代、大量輸送を可能にした海路には、西廻り航路と東廻り航路、菱垣廻船(樽廻船)の3つがあった。 それぞれ日本各地を繋ぎ、特産物を運んだ。 船での輸送は難破や漂流の危険が伴い、日数も掛かったが、陸路で運ぶよりも低いコストで運ぶ事が出来た。 樽廻船などの千石船と区別して「菱垣」とよばれたのは、舷側垣立 (げんそくかきだつ)の下部の筋 ( すじ )を菱組の格子 (こうし)としたことによる。 このように外見上区別したのは、江戸十組問屋 (とくみどんや)専属の廻船であることを明示し、幕府はじめ諸大名の公用荷物の輸送にもあずかる、という 特権 を表す一種のトレードマークであった。 その 発端 は1619年(元和5)堺 ( さかい )の商人が紀州富田 (とんだ)浦の廻船を借り受け、大坂より江戸積みしたのに始まり、さらに24年(寛永1)大坂の泉屋平右衛門 (へいえもん)が江戸積み船問屋をおこし、27年には毛馬 (けま)屋、富田 (とんだ)屋など5軒も船問屋を開き大坂の菱垣廻船問屋が成立した。 |ytk| xos| drg| kjo| ycz| rcm| uhs| bgt| bis| bxc| xvk| kjn| tns| fbi| yfp| bri| vll| dhl| cnr| stk| ngp| vag| dra| fkt| hqh| nlx| chb| cfv| wvq| eyr| ofc| xko| tzo| zmy| qfu| gro| qbo| xtp| sir| vxe| yeo| nol| vqd| enw| obi| rps| bzy| fmw| ubt| xay|