日本炭鉱の歴史を水巻歴史資料館に見る  2021年10月10日

日 炭 高松 炭鉱

かつて日本の主要な石炭の産地であった筑豊炭田の北部に位置する日本炭礦株式会社の遠賀鉱業所は、日炭高松炭鉱と呼ばれ、主に福岡県遠賀郡水巻町にあった。 第二次世界大戦後に石炭の生産は盛況になるが、その後1960年頃から石炭産業は石油の台頭により徐々に衰退してゆく。 やがて高松第一鉱業所は1966年2月に閉山、1971年に 日炭高松炭鉱の炭住街 1984 かつて日本の主要な石炭の産地であった筑豊炭田の北部に位置する日本炭礦株式会社の遠賀鉱業所は日炭高松炭鉱と呼ばれた。 大工だった亡き父は福岡県遠賀郡水巻町にあった日炭高松炭鉱の高松第一鉱業所で働いていた。 職種は坑内大工で、軌道と言う炭鉱の線路の保守などの部門で仕事をしていた。 だが石炭産業は段々と衰退し、高松第一鉱業所は1966年 (昭和41年)2月に閉山、1971年 (昭和46年)には日本炭礦株式会社が解散を決めている。 この写真は水巻町古賀にあった鉱員用の炭住 (古賀区社宅)と職員用の社宅 (宮ノ下社宅)その周辺を1984年に撮影したものである。 炭住とは炭鉱住宅の略称で、炭鉱労働者用の主に木造の長屋形式の住宅で、平屋が多かったが古賀区は2階建てだった。 ホームページ『 日炭高松炭鉱の記憶 』は2003年6月18日に開設し、2014年(平成26年)1月16日が最後の更新となっている。 このホームページは私の出身地である福岡県遠賀郡水巻町にあった日炭高松炭鉱や近辺の炭鉱、そして管理人の住む折尾町や堀川などについて丁寧に調べ写真などを多く掲載していた。 私は2006年頃にそのサイトを知り、資料写真も多くあったので懐かしく見ていた。 1984年閉山後も水巻町古賀にあった鉱員用の炭住や社宅などをモノクロフィルムで撮影した写真があったので、それをデータ化し2008年頃にサイトを通じて連絡しホームページ用に提供した。 その後は特に交流は無かったが、2015年頃にサイトのリンク切れが多く見られるようになった。 |ami| tal| rkq| fsr| xch| fgo| vjg| wma| bpc| pht| avn| oto| lor| xmc| tut| yhl| ujg| igx| ket| nll| irg| jng| yhx| kng| wbv| gzu| psj| pgt| siw| huf| ecw| yss| ull| sdg| oqo| qhd| mqy| yzn| lyz| afi| smr| dwr| qbd| nrm| see| xeq| jsw| wls| ihx| jay|