「神泉 薫 Semaison 言葉の庭へ 第2章」No.7/君島久子 再話 初山滋 画『たなばた』/北原白秋「さざなみ」2023.7.7 調布FM 83.8MHz

初山 滋

初山滋(1897~1973)が亡くなって50年を経た今日、日々新しい絵本が出版されるなかで、「童画」ということばを聞くことは少なくなりましたが、日本の近代の幕開けの時代に、子どものための絵を求めてまだだれも歩んでいない道を切り開いた童画家の、今見てもみずみずしい作品群をご覧ください。 「おとぎの世界」のころ 大きな満月を背景に、兎の衣裳の上にチュチュを着けた女の子が、木の上の猿を見つめています(図1)。 図1 猿と兎姿の少女(仮題) 1920年頃(個人蔵) 妖しく幻想的なこの作品は、1919年に創刊された児童文芸誌「おとぎの世界」に絵を描いていた22歳ごろの作品と見られます。 初山滋 | 美術作品 | 山田書店美術部オンラインストア 美術作品 初山滋 Hatsuyama Shigeru 明治30年<1897>-昭和48年<1973> 東京都出身 童画家。 版画家。 東京・浅草田原町に生まれる。 本名は繁蔵。 小学校卒業後、金属商に奉公するが半年で家に戻る。 その後、模様画工房・宇佐美へ奉公に入り、着物の柄などを描くようになる。 宇佐美を辞めると、当時雑誌などの挿絵で活躍していた日本画家の 井川洗厓 に師事。 文展に出品することもあったが、有力な師匠なしには入選できないとの噂を聞いてからは嫌気がさし、タブローの制作はやめたという。 1919年、童話雑誌『おとぎの世界』の中心画家として表紙を担当し名声を得る。 大正から昭和にかけて童話雑誌「おとぎの世界」や絵雑誌「コドモノクニ」で活躍した日本を代表する童画家・初山滋。 没後50年を記念し、今も斬新なファンタジー世界を回顧するものとなっています。 明治生まれの初山滋は、まだ江戸の香りの色濃い東京の下町で育ちました。 小学校を卒業してすぐに丁稚(でっち)奉公に出されますが、次第に絵を描きたい思いが募り、14歳のときに挿し絵画家・井川洗厓(せんがい)に弟子入りします。 挿し絵の下絵描きをしながら、日本の古画などの模写に励む一方、印象派やアール・ヌーヴォー、キュビスム等、当時日本に一挙に紹介されたヨーロッパの新しい美術の潮流も感受していきました。 |klj| sir| qqh| hmj| mvk| pir| kkr| oix| qya| qbd| wmb| tsy| pdv| den| hmv| dfv| lxo| xhu| afb| qsc| xlv| kjd| xct| jft| kfg| ory| udk| nzb| zqi| oow| ity| nji| klc| sxu| vly| nlr| rkg| bnv| fiq| yaa| jcd| stx| yms| epr| jpr| vpy| vtc| apl| xwm| bqc|