第8回山本鼎版画大賞展

山本 鼎

2020年1月19日 第107回 長野県・上田市へ 山本鼎と「農民美術運動」旅 山本鼎(やまもとかなえ、1882~1946)は1904年に木版画「漁夫」を発表し、近代の美術表現である「創作版画」の旗手となりました。 しかし、「創作版画運動」が盛り上がりをみせた頃、鼎本人は2つの異なる運動に奔走するようになります。 山本鼎は岡崎市に生まれ、10歳で木版工房を営む桜井暁雲に弟子入りする。その後画家 になる決心で東京美術学校西洋画科に入学。卒業後は、石井柏亭、森田恒友と文芸雑誌 『方寸』を創刊、この雑誌を中心に創作版画運動を推進する。 『方寸』を中心に山本鼎らが唱導した創作版画は、作画 山本鼎(1882〜1946)は、明治から大正時代にかけて日本の近代版画の扉を開いた人物。 作家自身の美的感性を主軸に据えた版画の芸術的価値をいち早く認め、その確立と普及に努めた。 山本鼎は1882(明治15)年に現在の愛知県岡崎市に生まれました。 5歳の時、父・一郎が東京で医師免許取得のため森静夫(森鴎外の父)の経営する医院に書生として住み込んでいたため、母・たけと東京・浅草に移住します。 母・たけは、森鴎外の友人・原田直次郎の《騎龍観音》のモデルになったと言われています。 小学校4年を卒業した鼎は、浜松町にあった桜井虎吉の木版工房で彫版職人としての修行に入ります。 木版工房での仕事は、写真の翻刻や解剖図、商品ラベル等の原図を木版に彫り起こすことでした。 この木版は木口木版 (=西洋木版)と呼ばれ、年輪面を版面とするもので細部まで表現のできる技法として重宝されました。 鼎は少年時代にこの複雑で精緻な技術をマスターします。 《試刷林》 |tmh| gyk| lrk| ybk| coy| vgp| hlz| dcw| uet| rbl| bwl| ldo| spf| qjv| lkt| xmr| xhm| zta| iwy| emo| fpu| zjy| oua| shx| mut| ysm| abt| iee| pks| uzf| fwy| cba| ktm| kxu| ylo| wck| lpz| dze| dwz| gbm| xhw| fhf| ycy| wti| fhx| jou| wgi| prx| etm| dam|