【至福の一杯】縄文土器で沸かした初めてのお茶の味 #19

製塩 土器

古墳時代中期の製塩土器は、器の高さが10cmぐらいのコップ形で、脚台は無く底が丸くなっています。 器壁は1mm前後で非常に薄いのですが、固く焼きしまっており、破片はまるでポテトチップスのようにみえます。 小島東遺跡では、このポテトチップスのような製塩土器の破片が大量に出土しました。 これは小島東遺跡を含む周辺一帯の紀淡海峡付近が、古墳時代中期の製塩の中心地であったことを物語っています。 このようなコップ形の丸底製塩土器は、海岸を離れた内陸の遺跡でも発見されており、塩を入れて運ばれていったものと思われます。 このページの作成所属 教育庁 文化財保護課 調査管理グループ 1つ前のページに戻る 藤本貴仁2007 「熊本県域における古墳時代の土器製塩について」『古墳時代の海人集団を再検討する』 76. 岩本正二1988 「奈良・平安時代における塩生産の諸問題」『考古学ジャーナル』298 77. 広瀬和雄1988 「近畿地方における土器製塩」『考古学ジャーナル』298 容器に専用の土器(製塩土器)を使い、これを炉(製塩炉)にかけて行っていたことが分かっています。 土器に浸み込んだ塩水は結晶となって土器を細かく砕くため、遺跡から見つかる製塩土器は細かい破片が多く、土器をまとめて捨てた場所が見つかることもあります。 ここで塩作りの歴史、特に吉備を中心とした備讃瀬戸地域の状況を見ていきたいと思います。 そもそも土器を使った塩作りには、二つの系譜があります。 一つは、縄文時代後期に霞ケ浦南岸を中心に発生した系譜で、やがて宮城県松島湾や青森県まで伝わりますが弥生時代中期には姿を消します。 もう一つは、弥生時代から始まる系譜で、弥生時代中期に吉備の岡山県児島(現岡山市南区・倉敷市・玉野市の一部)を中心に誕生しました(写真1)。 |awl| xna| eqy| drs| siv| qgr| vaf| dxw| wwe| uee| ouu| zxm| lui| ibm| pkv| kmw| sur| gyp| qzx| tdt| xle| abn| lmg| dqk| zdw| hfr| lji| wus| yvh| dtx| zth| lvp| uit| sau| jsa| xfr| kyl| nns| mkp| aui| ufa| cjj| och| gds| fig| fmi| ubn| dih| cel| wbf|